05月 « 2017年06月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  » 07月

(新)安里屋ユンタのオリジナル歌手

2017年 06月03日 03:40 (土)

沖縄の海


しばらく更新をサボっている間に夏になってしまいました(汗。実は暑いのが結構嫌いで寒いのも結構嫌いです。何が言いたい?というわけで嫌いな夏に何とか自分を順応させようと最近は沖縄の歌など聴いているんですが、やっぱ定番中の定番曲、安里屋ユンタが一番気分が出るな! ということでネット社会の有難さ、安里屋ユンタで検索して出てきた動画を片っ端から聴きくらべ、それも飽きるとハイサイおじさん聴いて、それも飽きると花とかオリオンビールのとか聴いて一周するとまた安里屋ユンタを聴き比べるという変な癖がついて困っております。絵を描けって。

で、その安里屋ユンタ、やっぱり夏川りみさんのカバーが圧倒的に有名ですが、個人的には上間綾乃さんの数年前の居酒屋ライブとかあと華菜枝さんという方のライブの動画が大変気に入りました。ちょっとリンク貼っときますので。

上間綾乃さん、思わず顔に目がいきますが実力も。
上間綾乃、居酒屋ライブ

華菜枝(菜菜星)さん、柔らかい美しい声。
華菜枝(菜菜星)、沖縄料理店ライブ

こうして沖縄民謡の名曲として数多くの方に歌い継がれている安里屋ユンタなんですが、調べてみると元々江戸時代から存在していた安里屋ユンタとは別のもので、1934年(昭和9年)に本土向けにやまと言葉で改作されてレコードとして販売されたバージョンが広まって今日一般的に知られる安里屋ユンタになったということでした。

なんでも満州事変の戦地で元の安里屋ユンタの「マタハリヌ、チンダラカヌシャマヨ」の一節が「死んだら神様よ」と空耳的に受けて広まったそうですがw、(いや笑えん)。それを受け、コロムビアレコードから作曲:宮良長包、作詞:星迷鳥(本名、星克)でレコードに吹き込まれて発売されたとのこと。まあそこまでは分かったんですが、なぜか吹き込んだ人物の名前がなかなか見当たらず、気になって色々調べてもこれが簡単には分からず、ムキになってやっと数年前のヤフオクのSP盤のラベルに表示があるのを見つけて、それを糸口にようやく唄い手が分かりましたので嬉しさのあまりこのブログ記事にしたという・・・それはともかく、


唄い手は、大浜津呂、崎山用能、仲本マサ子の御三方ですね。大浜津呂は八重山古典音楽の流派のひとつ大濱用能流の師範で、現代美術の岡本太郎の前で民謡を披露したというエピソードが残ってますね。また崎山用能は三線だけでなくバイオリンや琴なども演奏し八重山民謡を広めた、という記載がありました。それから仲本マサ子は作曲者の宮良長包の姪にあたる方のようです、(ちなみに作詞の星克は戦前は教育界に身を置かれ戦後は政治家に転身、地元の為に尽くしたとのこと)どの方も当時の八重山民謡界の第一人者の方々で、ニットーレコードやコロムビアレコードなどのSP盤に盛んに唄を吹き込まれ本土に八重山民謡を広めていった立役者だったということのようです。思えば現在まで連綿と続く沖縄出身のミュージシャンの祖先とも原点とも呼べる存在ですね。そのような方々の唄う安里屋ユンタがどのような唄だったか、ここまで来たらやはり聴いてみるしかない!というわけで、収録されているCDを探しましたらこれはあっさり見つかりました。以下、

SP盤復元による沖縄音楽の精髄(下)、これは絶版

その後出た同内容のシリーズの内

SP盤復元による沖縄音楽の精髄4、 これも絶版

とりあえずサンプルはありましたのでリンクを貼っときますが(ディスク2の22曲目、一番下)、イントロ長すぎて唄が分からんという・・・

一番下の方にサンプル有り。
Sp盤復元による沖縄音楽の精髄下

おまけに絶版なんでなかなか売っておらず、やっと見つけたらプレミア付いて結構高いので、他に何か無いかと色々探してみたら、「SP盤復刻日本民謡の名人をたずねて(下)」の17曲目に入っているのを発見、無事入手いたしました。

日本民謡の名人をたずねて(下)


えー以下は実際に聴いてみた感想です。まずサンプル通りイントロがやたら長く、ついでに間奏も変に長いですね。また何と民謡だというのに三線が全く入ってなくて全編ピアノとバイオリンの伴奏です。1番と3番を大浜津呂が歌い、2番と4番を崎山用能が唄って、仲本マサ子が合の手という分担になってて、例の観光用みたいな5番はオリジナルには無いですね。全体にピアノ伴奏のリズムが馴染まないようで、声の余韻を伸ばせず唄が非常に窮屈になったり、合いの手が合わなかったりするような箇所もありました。皆さん他の民謡では素晴らしい喉と三線を披露されているので、正直これは相当無理やり本土向けに作られた曲で、吹き込みにあたっては元曲のユンタとはかなり勝手が違ってて、皆さん相当苦戦されたんじゃないかといった印象を個人的には持ちました。

でも考えてみれば、そんなピアノとバイオリンの安里屋ユンタが80年以上の時を経て逆に民謡として洗練されていって今では八重山民謡の代表曲として大勢の唄い手に唄われ世間にもそう思われるまでになっているのが本当は一番素晴らしいところじゃないかと思いますね。これぞ脈々と生き続ける八重山文化の伝統っていう感じで。今売れている歌の中にこれだけ大切にされる歌がどれほどあるだろうかと、そんなことをふと思いました。が、その安里屋ユンタが生まれたきっかけが例の空耳だったというのがまたこう・・・・・・世の中味わい深いですね。特に今日はサーターアンダーギーの味がします(実は今、おやつに食ってる)

というわけで、せっかくだからこの音源をアップしたいんですがSP盤じゃなくCDによる入手音源なのでさすがに著作権が・・・、腹いせにハイサイおじさんでも聴いてくだされ。

喜納昌吉&チャンプルーズ全盛期!
ハイサイおじさん

いや凄いというか、コーラスのお姉様方がとんでもねーというか、単語が3つしか分からんというか実に夏ですなあ。
スポンサーサイト

宮原選手とあるファンの祈り

2016年 11月28日 01:42 (月)

最近、地方というか地元の歴史に題材取って作品作ってるんですが、愛媛ゆかりの人物で二宮忠八という人がいます。飛行機関連に興味のある人なら良くご存知だと思いますが、1889年頃までには独自に飛行機の原理を見つけ出しゴム動力の模型飛行機を作って飛ばしたことで知られています。世界的に言えば同時期にそういう試みをした人物が複数いてその内のひとりということになりますが、日本における先見性はゆるぎないところかと思います。

二宮忠八についてはこちら
二宮忠八Wiki

その後忠八は実業界で成功(食塩で知られるマルニを創業)を収めることになるんですが、成功を収めた忠八は初期の航空機事故の多発に心を痛め、犠牲者を慰霊するために私財を投じて飛行神社を創建することになります。場所は京都の有名な石清水八幡宮のすぐ近くなんですが、なんと鳥居がジュラルミン製、ギリシャ風の社殿、境内には本物のジェット機のエンジンはじめ様々な航空機部品が展示してあるとかで・・・なんか京都の面白スポット扱いされてましたがw・・・慰霊の他にも飛行機での旅行安全祈願とかキャビンアテンダント志望の子の就職祈願とかで参拝する人がいるそうです。

飛行神社
飛行神社画像

で、なぜ宮原選手がタイトルになってるかというと、勘の鋭い方ならお気づきの通り、今期はどの試合も回転不足を厳しく取られる傾向があって、元々ジャンプが低目の宮原選手に不利な状況の上に、NHK杯ではSPで珍しく転倒、FSでもやらかすとGPF女子シングルは日本人選手が出場できない可能性が高いという危機的な状況の中で、ファンの自分にも何かできることはないかと思ったんですが当然祈る他何もできないという訳で、この飛行神社の画像をパソコンの壁紙にしてFSの成功を祈って願をかけました。

結果は報道されている通り・・・フッフッフ、いや別に選手の努力の賜物だとは分かってますけどね。まあ落ち着かないファンの心には効いたということで。ちなみにオリンピックの発祥はギリシャですからね、ギリシャ風社殿というのがまたポイント高いのなー( ̄∇ ̄)ニヤッ.

次はGPF、飛行神社のお守りって効くやろか?

作品 「海底に眠る紫電改、ラッセン風味」

2016年 11月19日 01:28 (土)

海底に眠る紫電改  CLICKで拡大 合板 油彩 840×592

前の記事で登場して頂いた大竹伸朗氏の住む宇和島市の南に愛南町という街がありまして、そこの海を見下ろす丘の上に紫電改記念館という施設があります。ご存知の方もおられると思いますが、紫電改は太平洋戦争末期に作られた傑作戦闘機で、2000馬力級の誉エンジンに層流翼、自動空戦フラップなどの新機軸を備え、 特に松山の343空(剣部隊)において精鋭パイロットと改良された無線装置、複数機による連携攻撃などの戦術の採用により終戦間際の非常に苦しい戦局の中で大きな戦果を挙げたとされています。

 剣部隊は当時九州方面から飛来してくるアメリカ機の編隊を豊後水道上空あたりで迎撃していたわけですが、この機体は1945年7月24日に約200機のアメリカ軍機を迎え撃った20機の紫電改のうち未帰還機となった6機のうちの1機です。愛南町の久良湾に不時着し長らく海底に眠っていたこの機体が1978年に海底から引き上げられ、製造した川西航空機(現:新明和工業)によって補修され永久保存とされたものですね。世界でも僅か4機、日本ではこの1機のみが現存ということで大変貴重な戦争資料(遺産?)として地元の観光資源ともなっています。

そんな訳で訪れる人々に見守られながら地上で余生を送っている紫電改なんですが、その紫電改が人の世を離れ海底にいた時はどうだったかというと、これはもう小魚達の楽園というか高級マンションというか、大型の捕食動物から身を守るための絶好の漁礁として存在していた筈で、その様子をラッセン的なそれっぽい演出を加えながら描いたのがこの作品です。

ただラッセンの世界だと生物がみんな楽しそうなんですよね、でも自分のはそこまで楽しい絵にはならなかったですね。思うに魚の世界というのは弱肉強食の厳しい世界で、紫電改も人間界の弱肉強食そのものである戦争の道具ってことで、そっちの共通点の方に意識が向いてました。空を舞う飛行機と水中を舞う魚という対比、かつて日本の空を果敢に守った荒々しい戦闘機が水中では静かに小魚を守って暮らしているという対比が最初の思いつきだったんですけどね、ええもしかしたら永野の影響もあったかもしれないのは内緒ですw

まあラッセンとかヤマガタについては以前から色々考えることがありました。美術界ではバカにされがちな存在なんですがそれがなぜあんなに売れたのか、なぜバカにされているのか、いや本当にバカにしてていいのか?という疑問が自分の中で消化できてなかったのがこの絵を描いてる内に何となく分かったような気がしましたので次回の記事ではその辺について書きたいと思います。

最後になりましたが、紫電改記念館に隣接して宇和海展望タワーっていうのがありまして、ここの回転する展望台から見渡す宇和海風景というのは絶景です。大して期待せずに乗るとビックリすると思いますね。晴れた日にはぜひ。

宇和島、大竹伸朗論

2016年 09月10日 00:57 (土)

前の記事で宇和島藩のことをちらっと書きましたが、美術の世界で宇和島と言えばやはり大竹伸朗さん、ということで、ちょっと大竹伸朗論を。まあ論というほどのもんでもないですが、要は分かりにくいとされる大竹作品について自分なりに頭の中にケリをつけたものです。

現代アートに首突っ込んだ人ならお馴染みですが、もしかしたら知らない人のために

↓ 大竹作品はこんな感じ

大竹伸朗作品検索結果

まず自分が大竹氏の作品を見ていつも思うのは、この人は菌類的な制作プロセスを持つ人じゃないかということですね。梅雨の時期に食パンを放置しておくと自然に白とか黄色、灰色や黒の色とりどりの模様が出現しますが、氏の作品はあれと何となく似てるような気がいつもします。あるいは腐食した鉄板に広がった赤いサビみたいな印象もありますね。カビやサビっていうと正直イメージは悪いわけですが、時々あまりの見事な模様にすげーとか変に感心することがあるじゃないですか?(無いか?)あの感覚ですね。自然発生的な要素が非常に強いということですが、加えてあの爆発的な創作力というか生命エネルギーがまた菌類的というか・・・。

で、本物のカビやサビが何をやってるかっていうと、カビは有機物を分解して土に帰す役割、サビは人工的に作られた物質である金属を酸化して安定した状態に帰すというそれぞれ重要な役割を持ってます。要は用済みとなった物を分解して安定した状態に戻すということなんですが、大竹氏の場合は現代社会で不必要となったイメージを分解したり酸化したりして、そしてそうやって生成されたものを容器(キャンバスなど)に放り込んでいって、さらにそれを分解酸化させて重ねていく内に、やがて容器が満杯になってこれ以上何も入らなくなった時点が完成っていう状態になるんじゃないかと推測します。

だから普通の作家の制作プロセス、まず見たものを一度頭の中で咀嚼して、心の中で土に帰して、そこから新しく芽吹いて育った花というかイメージを作品として表に出す、というその作業が大竹氏の場合は最初から制作過程として頭の外に出てきていて、しかも氏の分解力が強すぎるもんだから新しく育った花も分解されてしまう。結果としていわゆるアートとしての意図的な外見が大竹氏の作品の中では存在しないことになり、そういう意図的な外見をアートとして感じている人にとっては大竹作品というのは全く物足りない訳のわからないゴミの塊か何かに見えるわけですが、一方で意図的な外見をアートの制約として感じている人(多くは美術関係者)にとっては非常に自由な開放感のある作品ということになり、そのことが現在の大竹作品の高い評価につながっているんじゃないかと思います。

そんな訳で、コンセプチュアルアートとは真逆の衝動や直感による制作スタイルの作家と言われてきた大竹氏なんですが、実際には分解とか酸化とかのコンセプトが一貫して根底にあって、その自然発生的な結果を作品とするという作業を80年代から積み重ねて来られた作家じゃないかと思います。ただそのコンセプトが頭で考えられたものではなく感覚的、本能的に到達されたものだということが大竹氏の特徴で、多分伝統的アート、現代アートの双方、あるいはアートの概念そのものに抗いながら到達した地平に立つ人なんじゃないかと思いますね。

しかし非常にグローバルに活動されている大竹氏なんですが、なぜか宇和島というか愛媛では作品まとめて発表されたことが無いのが不思議といえば不思議ですね。ガチャ景の存在は知ってるんですが・・・大御所過ぎる?ハコが無い?キュレートの問題?割りが合わない?う~む、良く分かりませんけどね。なんかあの爆発的なイメージの大竹氏が宇和島ではひそかに制作される毎日というのがちょっと引っ掛かるというか、もしかしたら現代アート作家とは別の素顔がのぞいてるような気がちょっとしますね。これってヤクザが家じゃ優しいパパだったりするようなもんか?いやどっかで怒られそうだから止めときます。

それはともかく、もし初の宇和島展があり得るのなら、会場は静かな県美術館より地元かつワイルドな宇和島の闘牛場が圧倒的に面白そうな気がしますね。いつの日かぜひ。

闘牛場はこちら↓

宇和島市営闘牛場

美術ファンなら何気にピカソを感じますよね!芸術的ですよね!

作品 「シーボルト・イネ20代復元図」

2016年 08月25日 05:10 (木)

シーボルト・イネ20代復元図 CLICKで拡大、油彩、キャンバス F8

この間から田舎を捉え直すっていう作業を試みているんですが、今回は田舎の歴史にアプローチしてみたものです。描くにあたっては地元の歴史を色々調べてみたんですが、なんといっても幕末の頃の宇和島藩というのが非常に輝いてまして、主君の伊達宗城(だてむねなり)公が非常に聡明で進取の気性に富んだ人物だったために、領内で優秀な人物が活躍する時代になりました。ざっと見てもシーボルト門下生で高名な蘭学者だった二宮敬作はじめ、幕府に付回されていた高野長英、戊辰戦争で指揮をとった大村益次郎、日本で最初の女医といわれるシーボルトの娘イネなどなかなかの凄い面子がいて、それぞれ時代の中で稀有な運命を背負っていた人達が一箇所に集まっていたというのは何か特別な感慨がありますね。

そんな訳で面白い人が沢山いるんでぜひ肖像画を描いてみようと思い立ったわけですが、そこでパッと目についたのがシーボルトの娘イネでした。現在日本ではハーフの子達が大活躍していますが、彼女はその最初期のひとりで、天皇家御用達の産科医にまでなりました。今でもハーフっていうと見た目のせいか色々話の種になりますが当時は今とは比較にならないくらい特別な目で見られていたんじゃないかと思います。まして親のシーボルトも有名人でしたのでそれも気にしてたという記録もありますね。ハーフにして2世、まさしく今風って感じではあります。幸い数枚の肖像写真が残っていてある程度の姿は分かりますので、ちょっと集めてみました。(顔の向きや色調を統一して見やすくしています)

楠本イネ肖像写真各種


結構顔が違って見えますが、どの写真も面長で頬が高い、眉毛の色が薄い、髪の毛はやや少な目で多分くせ毛、等の特徴が見てとれます。またモノクロ写真では分かりませんが、資料によると髪は茶色で目は青かったそうで、他には美人だったっていう記述も残ってます。ただ惜しいことに全部中年以降の写真なので、何となくこちらの地元を歩いてた若い頃のイネのイメージとは多分違うだろうなってことで、20代のイネの姿を再現しようと試みました。ベースにしたのは比較的鮮明な70代の2枚の写真です。多分もう歯がない状態なので顎の形が変化しているようですが、全体の印象は良く残っていると思います。他の写真も参考にしながら描いてみたんですがどうでしょうか?

楠本イネ画像比較



ちなみに自分は細かいことはあまり気にしない性分ですので悪しからず。

作品 「インターナショナル原発ブルー」

2016年 07月25日 02:27 (月)

インターナショナル原発ブルー CLICKで拡大 合板 油彩 変形フレーム 550×1030

以前よりちょっと違う角度から自分の周囲の田舎を捉え直してみたいと思ってたんですが、原発も都会には決して存在しない田舎だけの風景ってことで今回描いてみました。ちょうど近くの伊方原発の再稼動も近いってことでやはり気になってもいたので。

原発というと昔から推進派と反対派が激しく対立していて、それはつまり巨大なメリットとデメリットの対立でもあります。そんな原発が世界中約1500ヶ所に散らばっていて、今日もこの青い光(チェレンコフ光)が輝いているというわけですが、このチェレンjコフ光、なんと実験炉などの見学会では本物を見ることができます。非常に美しい青だそうですが、十分な水等の遮蔽物なしでこれを見た場合、同時に出ている中性子線に全身の細胞のDNAがズタズタに破壊され、身体が再生できなくなりゆっくりと無残に死んでゆく他なくなるという、この世で最も美しい猛毒の光でもあります。

あと数十年も経てば原発も20世紀の遺物として様々な記憶と共に語られる日が来てこのチェレンコフ光も消えゆく運命ですが、そうなるまで何も起こらないことを祈るばかりですね。 推進派の言う原発技術の国家経済戦略の中での位置づけも、その重要性も必然性も理解できますが、近所で再稼動となるとやっぱりね。早いとこ核融合の時代でも来ないかとニュース漁ったりしてます。ある種の現実逃避というか、気晴らしですが。

2024年に実用化と豪語するロッキード社
http://jp.reuters.com/article/lockheed-fusion-idJPKCN0I509K20141016

これ本当だったら21世紀が本当に始まってしまう感じですが、マサチューセッツ工科大も
同様のものを開発中、やはり2024年の実用化を豪語。
http://toyokeizai.net/articles/-/81816

こちらは茨城新聞ニュース、東芝の文字が泣かせる。
https://www.youtube.com/watch?v=HmQhQwPzors

こっちにもっと大金突っ込んでくれんかと・・・。

作品 「金秋」

2016年 06月15日 11:06 (水)

金秋  CLICKで拡大 合板 油彩 1665×453


何か忙しくてなかなか進みませんでしたがやっと新しいの描きました。しかし相変わらず季節感ゼロという、もうちょっと思いついた時にパッパと描けるといいんですが、ひとつ描くとスランプに陥る悪い癖が・・・w 

そんな訳で日本画、特に水墨画のあの素早い筆致が羨ましくてしょうがない。というわけで、これ描いてる間、水墨画のルーツでもある昔の中国美術について色々調べてました。まあ仏教伝来以来日本美術に大きな影響があったわけですが、中国の写実に対して日本は装飾的といった個性の違いがあって、それがどこから生じたのか興味ありますね。結局は精神文化の違いということになるんでしょうが、それがどのようなものなのか・・・いや単に建築物が地味だからだったりして。

冗談はともかく中国、日本どちらの伝統絵画もとにかく筆使いの見事さはやっぱ魅力ありますね。その辺ちょっと調べるつもりでいわゆる絵手本、画手本っていうのを何冊か購入してみたんですが、中では「京の絵手本、上、花鳥編」っていう本が良かったですね。竹内栖鳳、菊池 芳文、谷口 香嶠、他多数の明治期京都画壇、あの円山四条派の重鎮の方々の絵手本が見られるんですが、特に菊池 芳文の手本は非常に良いですっていうか作品レベルです。解説も分かりやすいし同様の本の中ではお勧めしときます。ほんまにええ本どす。

作品 「昭和畑」

2016年 03月19日 02:01 (土)

作品 「昭和畑」 CLICKで拡大、合板 FRP波板 傘釘 油彩 457×610

何を描くべきかってことで悩む人も結構多いんじゃないかと思うんですが自分も同じで、普段は身の周りの美しい風景など描いてるもののもう少し何かできないかってことで、今回はちょっと違う角度から田舎の風景を描いたものです。周囲にうちの小屋で実際に使ってた50年前のFRPとか貼りこんでみましたが効果のほどは未知数ってことで。

しかし自分の手で野菜作ってみて結構色々なことを感じましたね。まずは畑の小宇宙っていうのか小は目に見えない微生物から昆虫、鳥類、雑草、人間、天候に至るまで非常に複雑に絡んでて、ちょっと何かのバランスが崩れると上手く野菜が育たなくなるというね、土そのものが生き物だというのが実感できる時が良くありますね。まあ失敗しながら土との付き合い方を学ぶというのが農業の面白さかな。別に確立されたセオリー通りにやればいちいち失敗しなくてもいいんですけどねw

それからもうひとつ分かったのは、自分で食料を作り出すってことに何か意義を感じる部分がありますね。これは多分遠い昔の祖先の飢えの記憶とかが脳の中に残ってるんじゃないかと思うんですけどね。スマホだネットだって時代ですが、災害時の連絡を別にすればそんなもの無くても死んだりしませんからね。初めて上手く野菜ができてカゴいっぱいにキュウリやトマトが採れたときの感覚は嬉しいだけじゃなく安心って感覚がどこか混じってましたね。

まあ以上をひと言で言い表すと


「どんなに恐ろしい武器を持っても、・・・たくさんのかわいそうなロボットを操っても・・・土から離れては生きられないのよ!!!」


ハッ!!!この有名な台詞をタイトルにすれば良かったか・・・

宮原選手四大陸選手権 優勝オメ!

2016年 02月23日 02:06 (火)

でとうございます。彼女にとって大きな国際大会での初優勝なんですが、それ以上に内容が素晴らしかったですね。特にFSが圧巻でした。年末の全日本までにとっくに完成してたプログラムだと思ってたんですが、あの状態から更に叩いて磨き上げてくるとはね・・・正直SPのファイアーダンスや去年のミスサイゴンの方が出来がいいと思ってましたが、今回それらを遙かに超えてたんじゃないかと思います。滑らかな動きに加えて特に緩急のコントロールが素晴らしく、結果、リストの曲想との完璧なシンクロをやってのけたっていう印象でした。本当にフリーの4分間が2分位にしか感じなかったです。それに彼女の演技を見てる間、自分は一時的に花粉症の症状が出てましたね。(素直に感動しましたって言えない性分なもんでw)

それから点数がやっぱりねー、NHK杯から4試合連続でSP,FSともパーフェクト、203、208、212、214(小数点以下略)と点を伸ばしてくるというのはもう人間技を超えてるような気が・・・しますね、します。2位になったこちらも非常に良い出来だった長洲未来選手が唖然としでモニター見てたのが映ってましたがあの顔が全てを物語ってたような。


何にせよこれでジュニア時代からの最大のライバル、メドベデワ選手との距離が大きく縮まりました。彼女は直近の欧州選手権で215.45、宮原選手は214.91、その差僅か0.54ポイント、四大陸だけ見てたらゴールド選手の自滅で楽勝に見えますが実は別のところで凄まじいツバ競り合いをやってるというね。ただメドベデワ選手はSP FS共に2Aをミスってるので実質は5ポイント差くらいあるのかな?実際にはまだ少し差がありますね。でも彼女の欧州選手権の動画見ると何か去年と比べて演技が荒くなってるような、もしかしたら体型変化が始まってるような気が。一方宮原選手はジャッジの評価がまた少し上がってくるだろうし本当に世選は接戦ですね(おやじギャグちゃいます)

まあ表向きはお互いベストを尽くしてパーフェクト勝負を挑んで欲しいわけですが、メドベデワのコーチのエテリの戦略がねー、ジャンプの殆どをタノ(手をあげたジャンプ)にするとか、ショートは後半にジャンプを全てまとめる(点が1.1倍になる)とか、曲想なんか関係無し、えげつないと言うか、あんな人の良さそうな子にここまでやらせるか?成績落ちたらどうせ使い捨てのくせにぃ、などとちょっと思うわけですよ。ここはエテリ憎んでメドベ憎まずの精神で敢えて心を鬼にしてまた宮原選手を応援したいと思うんですが、まあはっきり言ってメドベデワはジュニア世選もGPFも勝ってるし、今回は宮原に譲ってくれよな!とか思ってたら浅田選手やラジオノワ選手にあっさり持っていかれたりして・・・宮原選手、ご健闘お祈りしています。もちろん他の選手の皆さんもね。
                                      

作品 「冬虎図」

2016年 02月16日 12:02 (火)

冬虎図 CLICKで拡大 A3 ボール紙 油彩


虎の絵を描いてくれとの依頼で描いたんですが、虎なんて描いたことがなかったので少し悩みました。自分の中では虎の絵っていうとやはり日本美術の岸駒、円山応挙とかのイメージですがあんなのは相当の修練がないと描けないし、だからといって明治時代の大橋翠石みたいなのは絶対無理ということで、ごく普通に描きましたよ、ええ(泣

しかし翠石の虎の絵久々に見ましたけどやはり凄いです。すさまじい描写力というか何なんだろうなあれ、各国の万博で優勝金牌取り捲ったというのも良く分かる気がします。普通の日本的な虎の絵を見慣れた目にどれだけ衝撃的だったか。唯一対抗出来そうなのが竹内栖鳳だと思いますが、圧倒的な筆力を持ち、なおかつ動物を得意とした栖鳳でも虎の絵だけは明らかに負けております。惜しいのはやはり殆ど虎専門の画家みたいになって美術史の流れからは外れ一部の好事家以外には忘れられた感があることですが、Wiki見ると当時は横山大観あたりと互角以上の評価だったとかで、今でも掛軸1本数百万はするはずです。で、ヤフオクなんか見てると、伝、大橋翠石筆とか銘打って10万以下で売ってたりするんですが、どうせ贋作作るならもっと頑張らんかいと贋作者を心から応援したくなるレベルでの筆力の差がありますね。全然人のこと笑えないですが(泣

という訳で、以前開催された某展覧会に日本一の虎の画家とキャッチがついていましたが、そんなはずはなく翠石は世界一の虎の画家であることをこの私(どの私だよ?)が保障しておきたいと思います。